2008年07月30日

世界最速ギタリストだそうな。

Tiago Della Vega という方、僕は知らなかったのですが世界最速のギタリストだそうな。
1分間に320回オルタネイトで正確にピッキング。

5歳の時にギターを始めて、2年後にエレキと出会ってから毎日16時間練習してこの技を身に付けたとか。
以前、「速く弾けばいいってものではないだろ?」と皮肉って、日本製のマキタの電動ドリルにピックを付けて、ステージで弾いたギタリストがいたような気がする・・・。ポール・ギルバートだったか?

前置きが長いので、時間が無い方は3分ぐらいまで早送りして、1分間170回ピッキングからどうぞ。



ぢゃ、オレは350回/分狙って毎日18時間練習・・・、とは全く思わないです。(笑)
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2008年07月28日

「かわうそタルカ」とピーター・ハミルの偶然

昨日、かわうその動画をアップした際にアンソニー・フィリップスのCD「TARKA」のことを書きました。
この「TARKA」を検索してみたら、なんとミュージシャンの ピーター・ハミル の公式日本サイトのブログで、偶然にも昨日このアルバムのことを取り上げていました。びっくり。
書いた時間見ると、向こうの方が早いのが少し残念。
だけど、僕はCDの内容については殆ど書かなかったから、ぜひ読んでみてください。

「TARKA」は10年ぐらい前にヘビーローテーションでかなり聴きこんだのですが、今日の通勤時に久しぶりに聴いてみました。ピーターハミルの この文章を読むと 、1988年に最初にリリースされて僕が聴いていたのは1996年版というものらしい。

ピーター・ハミルは『「このバージョンは再度編集され、追加の音楽がフィーチャーされている」とある。CDのトラックは4つのままだが、それぞれのMovementは、実際にはその中が細かく曲が分かれていて、そのタイトルもクレジットされている。残念ながらオリジナルがどうなっているのかが分からないのでどれが増やされた曲なのかは不明だ。』と書いているが、この4曲の組曲のうち、かなりの確信度で最後の「THE ANTHEM」だと僕は思う。
と、いうのはMovement oneからMovement Threeまでは12弦ギターの音の他はオーケストラの生音なのだが、4曲目の「THE ANTHEM」だけはこれに前後して出たアンソニー・フィリップスの「スローダンス」を彷彿させるシンセストリングスが入っているからである。この4曲目が素晴らしく美しいと思う。

またピーター・ハミルのブログに、『実際もとになっている本(ハリーの父親が書いた1928年に"Hawthendon賞"を受賞した小説)については、映画化の話もあったらしい。その小説をベースに、ハリー曰く「水の循環」をテーマとした音楽を描きたかったのだそうだ。』とあるが、 1978年に映画化されている 。実際、僕もこのCDを聴いた時には映画音楽なのではないかと思ってしまった程であるが、映画の方が先だからアンソニー・フィリップスの音楽が使われているわけはない。

しかし、「TARKA」のCD、廃盤なのかアマゾンの中古で8393円は高すぎないか?

本もないか検索してみたらありました。1927年に書かれた原作(昭和2年!写真の出版年はもっと新しいけど。)「かわうそタルカ」という本です。

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本の内容はわかりませんでしたが、上にリンク貼った映画の紹介サイトにあったあらすじをコピペします。(ネタバレあり、注意。)

『1927年、イギリス。北デボン州の田園では、様々な動物たちが平和に暮らしていた。大きな樫の木の中で、かわうそと白ふくろうが奇妙な共同生活を送っており、かわうそには、もうすぐ赤ちゃんが生まれようとしていた。5月のある日、かわうそには男の児が生まれ、“タルカ"と名付けられた。それには“水の放浪者"という意昧があった。ある日、タルカにとって悲しい出来事が起こった。タルカの父親がハンターによって撃たれてしまったのだ。そして母親とウナギを取りに出かけた時、今度はタルカをかばって母親がハンターの手にかかって殺された。両親を失ったタルカは旅に出る決意をし、生れ育ったその地を出発した。ある湿地帯で、タルカは、可愛いメスのかわうそホワイトチップを知るが、身体の大きなかわうそが現われ、ホワイトチップをさらって行ってしまった。やがて春。元気に旅を続けるタルカは、偶然ホワイトチップと再会した。二匹は心ゆくまで泳ぎ回り愛を誓い合った。ある日、二匹の間に赤ん坊が生まれ、タルカはオスの子二匹、メスの子一匹の親になった。やがてかわうそ狩りの季節がやってきた。かわうそ狩りの一団から、タルカはうまく逃げ回るが、鼻先に止ったトンボのために、遂に見つかってしまった。そして、勇敢に闘ったタルカも子供たちを残して、悲しくも死んでいくのだった。』

昨日の掲載した、可愛いかわうその動画を見た後だと、泣いてしまいそうになってしまうような悲しい物語の終わり方です。
アンソニー・フィリップスの「TARKA」のCDも、Movement Threeの題名が「THE HUNT」なので、やはり1988年盤はこれで終わりだったのではないでしょうか。
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2008年07月27日

一瞬の静けさは何故?

カワウソの赤ちゃんの集団、可愛いです。
時々、示し合わせたように静寂が訪れるのは何故?



ジェネシスの初期メンバーだったアンソニーフィリップスの作品で「TARKA」っていう1996年のCDがあるのですが、小説「TARKA THE OTTER」にインスパイアーされたとブックレットに書いてあります。
今までジャケ絵の動物が何だったのか分からなかったのですが、カワウソだったことがこの動画見て分かりました。^^
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2008年07月19日

The Sushi Cabaret Club の最後のライブを観に行った。

アポロシアターで、スシの最後のライブがありました。
ベースのアーロンさんがオーストラリアに帰国するということで、
この日のライブを最後に、約5年のバンドの歴史に終止符がうたれることになりました。

これでバンドが解散する、というライブを観に行ったのは初めてかもしれません。

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フジ・ロック・フェスティバルにも出演したことがある、実力のある彼ら、本来もっと売れてもおかしくないバンドであったと思います。

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バンドの名前が良くなかったのではないか、という声を聴いたことがありますが、もしかしたらそうかもしれません。
海外で売り出したのであれば、スシ、フジヤマ、ゲイシャといったステレオタイプの日本のイメージが効果を生み出したかもしれません。また、キャバレーという語感が日本では良いイメージを持たない気がしました。
これで奇天烈な音楽でもやっていれば「なるほど」と思ったかもしれませんが、正統派のUKロックで、バラードも素晴らしいとなると「?」という感じになってしまいます。

海外でヒットしても不思議ではない曲もあったと思います。
ファンの贔屓目かもしれませんが、何かきっかけがあれば、もっと売れても良いバンドだったと思います。そして、海外進出すれば「The Sushi Cabaret Club」のバンド名はプラスに作用したのではないのだろうか。

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この日、デイブさんが使用したギターはエドワーズのジミー・ペイジモデル。
2曲目に気付いたのですが、弦が切れた様に見えました。さすがレスポール、弦が切れてもチューニングが狂わないな、などと思っていたのですが3曲目もそのままスペアに交換せずに使用。

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良く見たら、3弦を巻いた後の残りを切らずにおいたものが5フレットあたりまで伸びていただけでした。^^

この日デイブさんの使用アンプはマーシャルのヘッドに、ホットプレートのアッテネーター、オレンジのスピーカーといった組み合わせでした。

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足元のペダル類は以前と比べて、だいぶスッキリしていました。

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デイブさんのお姉さんのデボラさん一家が来日して観に来ていたとのことで、MCでデイブさんが口を滑らせてFで始まるお下品な単語をしゃべった直後、あわてて「Sorry, デボラ」と言ってました。(笑)

初めて彼らのライブを観に行った時 にも書きましたが、ロックのライブにしては観客の女性比率が高かったです。

ライブはアンコール2回で、トータル約2時間でした。
これでバンドが終わりだなんて、なんだか残念。

終了後にサインをしているデイブさんです。

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僕も、この日発売の最新作でラストの作品であるCDを買いました。

以前、マネージャーのmimiさんとお話したとき「間を通してCD出すと、あまり収入がない」というようなことを言ってました。枚数が増えるという効果があまりなかったという事でしょうか。
今回はファーストの様に、録音からプロデュースまで自分達でやったと聞いていたのですが、ケースを開いて見てびっくり。
ジャケ写真まであるのに中身は何も字の無いCD−Rでした。
1枚1枚時間をかけて焼いたのでしょうか。まるで、ブートのようです。(汗)

なので、今回はブックレットにではなく、CD−Rに4人のサインをいただきました。

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ブックレットのインナーにジャケ写真の説明が書いてありました。

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『写真はバンドが日本中を旅したときのヴァン、貼ってあるステッカーは演奏したライブハウスでのもの。今まで素晴らしい時間を過ごせて、僕たちはこれからいつも素敵な想い出とともにいる。ありがとう。』

意訳ですが、ヴァンの後ろの扉の内側にスタッフのパスが貼ってある写真のようです。

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最後にデイブさんに「じゃあね。」というつもりで、「See you later.」と言ったら、彼から日本語で「あとで。」と返事がかえってきました。よく考えると「See you later.」を直訳すると「あとで。」なので「またね。」という意味で言ったのかもしれません。でも、僕はそのときは?と思って、日本語で「あとで??」と聞き返しました。
そうしたらデイブさんが「新しいバンド」と言って、ドラムのノブ君を指差しました。
もう、次のバンドの話が進んでいるのかもしれません。終わりは新しい始まり。
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2008年07月15日

さよなら、コーラスCE-1

さよならシリーズが先日もありましたが、現在、機材の整理放出中です。

ヴィンテージペダルともいえるBOSS(正確にはローランドの)CE−1も手放して新しいユーザーの方に使っていただくことになりました。

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バンドでもやっていれば自分で使うのですが、今回は、 以前書いた中でいうと理由(1) で手放しました。

このコーラス、すごく自然で元音に忠実で、いかにもコーラスコーラスした感じのペダルとは一線を隔していると思います。さりげない揺らぎ音という感じです。

家でギター弾くだけならAC30BMのみで十分だし、一発合わせセッションであればDigitecのブライアンメイペダルで何とかなります。
ただ、独りでスタジオでフルテンで弾いた時TB−83+CE−1と、Digitecのブライアンメイペダルを比べると、後者はペラペラした感じで安っぽい音に僕は感じました。
だから、もしもバンドでもやることがあったら「取っておけばよかったー」と、後悔するかもしれない今回の放出品です。^^;

ただし、持ち歩くと「重い」一品です。僕がこれを人前で使ったのは、初めて参加した京都BBAでのセッションでしたが、他のエフェクターとギターを担いでいったら重くて重くて・・・。^^;
(だったら車でいけばいいだろ?>自分)

CE−1は、記念すべき「BOSS」のペダル第1号です。
JCのアンプに付いていた回路を取り出してエフェクターとして売り出したもので、クイーンのブライアンメイが揺らぎ系のエフェクターとしてFOXXのフェイザーの後継機種として使っているものです。
もっとも、ブライアンは1978年のアルバム「JAZZ」までは両方を併用していたという情報もありますが。

自分はどちらかというとFOXXのフェイザーの方が好きです。(持ってないけど。)
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2008年07月14日

Kunio Kishidaと二日間、岸田邦雄さんと二日間。

7月11〜14日の4日間の連日、岸田さんとお会いしました。

表題の意味は、ご本人いわく「ギタリストの時はKunio Kishidaで、岸田邦雄の時はギター屋のオヤジ」だそうです。そして「メガネを外すとギタリスト、メガネをかけるとギター屋さんで、クラーク・ケントみたいに変身」するそうな。

まずは7月11日(金)、ココペリでのアコギライブ。
この日はギブソンのエレアコと、マホガニー合板?のドブロ。

前日、日本に着いたばかりのJerry Wasley Jr.さんをベースにデュオで演奏。
Jerryさんはブレンダ・リーのバンドでベースを弾いていた方です。

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翌日7月12日(土)はサンダンスでのライブ。

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ギターは、ヴィンテージのゴールドトップ、1952年製のレスポール1本。

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ちなみにレスポールが製造開始されたのが1952年です。
それとは関係ないけど、岸田さんもジェリーさんも1952年生まれ。^^

岸田さんのギターもさることながら、ジェリーさんのベースが素晴らしかったです。

しかし、この二日ともリハーサル無しとはスゴイです。さすがプロの方々は違います。
一発合わせのセッションで、毎回何かヤッてしまう自分とは違います。^^;

7月13日(日)は、1時ころナンシーにギターを眺めに行きました。
岸田さんのお話が面白くて、あっというまに5時間が経過。
途中でバイク2台で来店されたお二人のお話も面白く、また、岸田さんと同じ年と分かって「ちょい悪オヤジ3人衆」となって3人で盛り上がっていました。「若い」ワタクシにはついていけない話題もあり、聞き役に。
「アコギを見にきた」と言っていたお一人が、なぜかオールドのテレキャスターをお買い上げ。「バイクで来たから今度取りに来る」と置いていきました。

7月14日(月)は、Jerryさんに見せると約束していたKzレスペを持ってナンシーに。

レスペを持つJerryさん、「ネックを握った感じがローポジションから、ハイポジションまで変わらなくて素晴らしい。」と言っておりました。

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ジェリーさんが謎の女性とハグして消えた後、ご来店しカスタムショップのストラトをお買い上げした方と、レスペ&ストラトで小セッションしました。
レスペとジンキーアンプの相性はイマイチでした。デジテックのブライアンメイモデルでもあれば良かったかも。
ストラトも少し弾かせていただきました。ジンキーアンプとの相性は素晴らしく、弾いていて気持ちが良かったです。

この日も、ふと気がつくと2時間が経過。ナンシーでは時間があっという間に過ぎます。

次は7月31日の大須ell SIZEでのステージを見に行く予定。
翌日にはジェリーさんはアメリカに帰国するそうです。

上記土日2回見たライブは、彼らにとって原宿クロコダイルと大須ell SIZEの公開リハーサルみたいなものだったのかもしれません。^^

大須でドラムを叩くGraceさんという女性ドラマーさんは、沢田研二のバックで叩いている方だそうです。

−−−今後のKunio Kishida & Jerr Wasley Jr 告知コピペ−−−−−

■7月26日( 土)
代々木ロック居酒屋“MY BACK PAGES”  
デュオ“kunio & Jerry” 午後7時半スタート。
入場料:1,500円+1drin k、 
JR代々木駅からすぐです。
〒151−0053 渋谷区代々木1−3 6−9 理容文化社ビル地下1F 
03−5358−3539 http://www.zoono.co.jp
※さっき正式に決めたのでスケジュールには載ってません。

■7月29日(火)ライブ情報 チラシ
原宿クロコダイル
"Kunio,Jerry & Grace" / Peg20th Ann.Nancy presents
”Kunio Kishida Vintage Guitar Sound Live Show Vol.5"

※美味しい料理もいっぱい 。
開場:6:30pm 
開演:7:30pm 
前売:2,800円+1drin k、 
当日:3,000円+1drink
問合せ&チケット予約:ナンシー渋谷 店03(3780)0929
nancy-g@nancy-g.com

〒150-0001渋谷区神宮前6-18-8 ニュー関口ビルB1
03(3499)5205 http://www.music.co.jp/~croco/ 
チケット予約 nancy-g@nancy-g.com

■7月31日(木)ライブ情報 チラシ
名古屋大須ellSIZE   
バンド"Kunio,Jerry & Grace" / Peg20th Ann.Nancy presents
”Kunio Kishida Vintage Guitar Sound Live Show Vol.6"
会場: ellSIZE 名古屋市中区大須2-10-43
http://www.ell.co.jp/
地下鉄鶴舞 線『大須観音駅』下車、2番出口より徒歩40秒
052-201-5004
開場:6:30pm  
開演:7:00pm 
前売:2,800円+1drink、
当日:3,000 円+1drink
問い合わせ:有限会社ナンシー052(971)0009,
nancy-g@nancy-g.com
名古屋で、バンド編成ライブは今年初です。 
お楽しみに・・・。
ご予約nancy-g@nancy-g.com
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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2008年07月13日

DEACYアンプ、その後。

新しいユーザーから早速使用した感想が届きました。

『レスペにストレートに繋いでみました。
凄いですね、指で弾いて、ずーっと音が伸びていくところが不思議です。今後は、TBを繋いでいろいろやってみようと思います。』


気にいっていただけたようで良かったです。^^

そうなんですよねー、あのサステインは得がたいものがありました。
更にTB(トレブルブースター)をつなぐと、ギターとの位置によりクイーンのアルバムで聴く「あの音」に似た音を自宅で出すことができました。
posted by マット at 21:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

湘南の霧が取り持つご縁

久々にバイクネタです。

ホンダの元ワークスライダーで、1987年の全日本A250のチャンピオンの清水雅広さんという人がいる。当時僕は、彼の出場レースを時々観に行っていたが、ぶっちぎりの早さであった。その年は、世界GPにスポットも参戦して、南米ラウンドでトップ争いをしてトップも走り、結果は3位表彰台という偉業を成し遂げた。
(当時は世界GPで日本人がトップ争いするのは「バリバリ伝説」などのマンガの中だけの世界だったのです。もっと昔には片山敬済さんとか活躍した人がいたけど。)

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そして清水選手は、翌年1988年から世界GPにフル参戦。しかし1992年までの5年間、トップ争いに絡むことはあったが、チャンピオンはおろか優勝も1回もできなかった。
僕はあの速い清水が勝てないのだから、世界の壁は大きいんだなぁと思っていた。

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最後のシーズンはホンダからワークスマシンを借りての自費での世界GP参戦であった。このマシン貸与費用と転戦費用は馬鹿にならない金額だったと思う。実際、「レースで稼いだ金は全部レースで使い果たした。」と話しているのを読んだことがある。そしてそのシーズンを最後に彼はバイクのレースの世界から消えた。

ある日、ネットで彼の名前を見つけた。実家が建設業ということもあり、レースをやめた後は大工見習いから始めたそうである。
その後、清水建築工房を設立して、人に優しい家を建てているいる様です。
彼は昨年の10月にバイクのレースを観に行くまでは、15年間サーキットにも行っていなかったらしい。トロフィー類も全部捨てたと言っていたらしく、世界GPで勝てなかったことは過去のこととして、現在を生きているようである。

清水雅広が引退した翌年、1993年から世界GPに参戦し、初戦で初優勝し、初年度でチャンピオンにもなった原田哲也とは対照的である。
原田は2002年の引退後、元レースクイーンの奥様と一緒に、モナコで億万長者の生活をしている。イタリアでは、CMに出ていたこともあり、中田英寿よりも有名な日本人であるらしい。日本ではモータースポーツといえば4輪のF1だけみたいな感じになっているけど、ヨーロッパでの2輪のGPレースの人気は高く、世界チャンピオンになるという事は、日本では想像が付かない程のステータスなのである。
で、前置きが長かった上に話がそれたが表題の件である。

モナコで悠々自適の生活もうらやましいけど、湘南で生活する清水さんのブログを読むと、時間がゆっくり流れていくような日々が伝わってきて、こういう生活もいいなぁと思えます。やたら食べ物の話題が多いと思いながらもROMしていたのですが、先日初めてバイクレースネタが出たので思わずコメントしてしまいました。
いつのレースの事か僕は覚えていなかったのですが、ウイキペディア見ると清水さん最後のシーズンのスペインGPだったようです。

サーキットのヒーローだった清水雅広さんから、コメントに返事がもらえて嬉しいワタクシなのでした。^^

当時、サーキットでマシンから降りたときの清水選手は、攻撃的な激しい走りからは想像できない大人しい感じの人で、落差が大きかったです。ブログの文章を読むと、やはり優しい人だったのだなと思いました。

下のは古い写真で、1992年のシーズン終了後のチャリティーオークションで、家人がゲットしたライダーブーツに清水さんからサインを書いてもらっているところです。

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この時は「来年の活動は未定です」と言っていたけど、まさか引退するとは思いませんでした。
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2008年07月11日

さよならDEACYアンプ。

ディーキーアンプのバチもの、オーケストレイターを里親に出しました。

最近使用頻度が減ってオブジェと化していたのと、1か月ぐらい前に中古のストラトを1本買ってしまったのが手放した要因です。
つまり、 この前書いた中でいうと理由(1)と(2) ですね。

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新しい持ち主さまによって、このアンプが活躍するといいなと思います。

ちなみに、久しぶりに米国特許庁のサイトを見てみたら、このアンプの製作・販売者のクリス・マホニー氏が商標登録申請していた「DEACY」に異議申し立てがされていました。
代理人の名前しか書いていなかったけど、異議申し立てしたのはジョン、あるいはブライアンか?
posted by マット at 00:11| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

46664コンサートを見忘れた

見忘れたというか、チェックしていなかったので今年の開催日もしらなかったのですが。(汗)

46664という番号は、ネルソン・マンデラがアパルトヘイト時代に牢獄に18年入れられていたときの、その牢屋の番号だそうです。
その番号をプロジェクトの名前として、南アフリカでのHIV感染増加に立ち向かう活動だそうです。5年前に立ち上げられたプロジェクトです。

そういえば、先日仕事で未来の技術について調査していたとき、関連して高齢化社会について調べました。日本の平均寿命は80歳近いのですが、アフリカの国では38歳というところがありました。
GDPと平均寿命に正の相関がみられたので、貧困やエイズを原因に、生まれたばかりの子供や大人が早死にするため平均寿命が異様に低いのだろうと思います。

しかし、先日ネック削ってもらった話の最後の方に書いた庄司さんが行ったヨハネスブルグでは、1日にあたりに亡くなる人数、アフリカの死因で1番を占めるエイズで亡くなる人数よりも殺人事件によるもののほうが多い、というのだから驚きます。なんでも、ヨハネスブルグでは赤信号で車で停止していた日本人が強盗に殺されたこともあるそうなのですが、赤信号で止まっていたのは非常識と現地では言われていたそうです。
ヨハネスブルグでは、赤信号は周囲を確認して危なくなかったら進むのが常識だそうである。
こんなところでサッカーのワールドカップ開催して、事件に巻き込まれたりして、応援に行くサッカーファンの日本人に死者は出ないのだろうか?

で、ハイドパークで行われた46664のチャリティーである。
6月28日(土)の2:30AMからインターネットで観ることができたそうで、ブライアン・メイを観たかった僕としては徹夜してでも見たかったです。

しかし、いい世の中になりました。M.kassyさんがYou Tubeのサイトを紹介してくれましたので観ることができました。
その動画を下に貼っておきます。

まずは、アンドレアさんという女性ヴォーカルとアコギで Is This The World We Created?



Q+PRで、 One Vision, Tie Your Mother Down, The Show Must Go On。



最後にWe Will Rock You, We Are The Champions, All Right Nowです。



バンドの演奏がズレている部分もありますが(汗)、ブライアンのプレイと最新のレスペサウンドが聴けてうれしいです。
ロジャーも一時期に比べて痩せたような気がします。^^

ネルソン・マンデラで思い出したのですが、80年代後半に爆風スランプが出したCDで「Oragayo」という作品があります。そのCDのラストのバラードが天安門広場事件での悲劇を歌った曲なのですが、その前に、少しだけライブがフェイドインしてきます。この曲、「7th Heaven」という曲で、マンデラのことを歌っています。
CDだけ聞いていたときには「?」という感じだったのですが、爆風スランプのビデオを見た時に状況を見ることができました。
サンプラザ中野とパッパラー河合が二人で南アフリカのスタジアムで行われている集会に乗り込み、パッパラー河合のアコギをバックに中野さんが歌っているのです。CDでは少ししか聞けないのですが、ビデオでは出だしを3回ぐらい失敗してやりなおしていました(僕が時々参加している一発合わせセッションのように^^;)。
サンプラザ中野と会場の観衆で大合唱になっていましたが、ビデオで中野さんと河合さんが「あそこで間違えたことによって会場の心をつかむことができた。失敗して良かった。」としみじみと語っていたのが印象深かったです。
posted by マット at 18:04| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする