2006年04月27日

ブライアン・メイ使用のトレブルブースターについて

僕はまだAC30BMをスタジオに持ち込んで音を出したことが無いので、大音量での音は未体験です。家で小音量で弾くときには外にトレブルブースターをつないで使用しているので、アンプ内蔵のトレブルブースターがどの様な音なのかが気になります。
近日中にはフルテンで音出ししてみるつもりですが、今回トレブルブースター部分にどの様なトランジスターが使用されているか見てみました。

BM0.JPG

真空管が2本載っている基板を外すと、下に2個のシリコントランジスターが見つかりました。これがトレブルブースターのものなのかは確信ありませんが、多分そうなのではと思います。

BM1.JPG

BM3.JPG

BM4.JPG

基板に"Q201"、"Q204"と印刷されている場所にセットされていました。トランジスターの番号はどちらも同じく"BC182L"という番号です。

現在ブライアンはフライヤーのTBを使用しているので、回路や音はフライヤーに似たものとなっているかもしれません。フライヤーのトレブルブースターには、シリコントランジスターが使われていると聞いたことがあります。(フライヤーやコーニッシュのエフェクターは回路が見えない様に隠してあり、これを開けてしまうと故障時に修理してもらえ無くなるらしいので、僕は実際には見ていませんが。)

ご存知の方は多いと思いますが、ブライアンが使用しているトレブルブースターは時代により大きく3種類に分かれます。

「オペラ座の夜」の時期くらいまで(初期)、その後のクイーン時代(中期)、そして98年のアナザワールドツアー以降の現在に至るまで(後期)の3つの時代です。初期はレンジマスターというトレブルブースターを使用しています。ブライアンのレンジマスターについては諸説あるのですが、クイーンUのころまで使用していたものは紛失してしまい、その後ブライアンの父親によりレンジマスターを改造したものが1975年頃まで使用されていたとの説があります。
1976年以降のクイーンの作品とソロ作品「バックトゥーザライト」までは、ピートコーニッシュにより製作されたTB−83というトレブルブースターが使用されていました。今でもクイーン時代が好きなファンにより支持されているトレブルブースターです。音が暴れる感じで、弾いていて気持ちがいいエフェクターだと思います。TB−83にレベルツマミが付いたTB−83エクストラというものもあります。これはTB−83を2台直列につないでブーストの量を上げるためのものです。エクストラの説明書にはTB−83の前に繋ぐか、後ろに繋ぐかで効果が違うと書いてありましたが、僕には良くわかりませんでした。
自分の場合、狭いスタジオでAC30フルテンで使用するとTB−83にエクストラをつないだだけでハウリングがすごいので手放してしまいました。その後セッションをする機会が出来て、今思えば取っておけば良かったかなぁと思います。あと、家で小音量で使用するときにはコーニッシュ特有の中音域がこもった感じの音は、TB−83エクストラをつなぐだけで改善されました。ただ、これはメイヘムをつないだ場合でも同様に中音域のこもった感じが改善されます。

1998年の「アナザワールド」以降はグレッグフライヤーにより製作されたトレブルブースターを使用しています。歪が少なくクリーンな感じがするトレブルブースターです。ブライアンはスタジオではスタンダードタイプを、ステージではツーリングというタイプのものを使い分けているらしいです。僕は使用したことがありませんがツーリングは、バンドで演奏したときにスタンダードのものより抜けのよい音になるらしいです。また、先日のツアーでは、クイーンツアー2005年モデルというものを使用していたという情報もあります。

昨年、僕がスタジオで3種類のトレブルブースターをAC30フルテンで鳴らした音を、Makiさんのファンズワークスのサイト にアップロードさせてもらった音が、これです。(ヘタレギターで気分が悪くなる恐れがありますので、心配な方はダウンロードを避けてください。)
1,4,7が初期、2,5,8が中期、3,6,9が後期をイメージした音です。
10は比較のためのトレブルブースター無しの生音です。これのみインライン録音です。
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2006年04月24日

岸田さんのジェット・コースター四方山“劇的な18日間”連載終了!

岸田さんの 「四方山話」の4月7日から始まるジェット・コースター四方山“劇的な18日間”が本日完結しました。

めでたし、めでたし。

ストーンズのファンの方なら垂涎モノの貴重な話だったのでは?
なんだかすごいなぁ〜と思った方が多かったのではと思います。

岸田さん、東京ドームだけではなしに、ナゴヤドームでもデビューしてたんですね。ステージが移動したときに音がいっぱい聞こえてきてあのストーンズのメンバーでさえ、「一瞬見失った」らしいです。

岸田さんが四方山に、この話を書き始めたときは「アンビリーバボ」な体験と書かれていましたが、私にはぜんぜん不思議に思えませんでした。と、いうのは岸田さんの周りにはそういう話がいっぱいあるのです。

僕が某掲示板に書いた「ブライアンが初来日のときにお茶の水の楽器店で7500円で買ったアコギ」の話の人は、実は若き日の岸田さんなのです。

ブライアンは7500円の日本製のアコギで「預言者の歌」をレコーディングしたのでした。この事実を知っている方は全世界でも少ないのではないでしょうか?(ブライアンを除く)でも、ブライアンって本当に物持ちがいいですよね? 
「オペラ座の夜」30周年アニバーサリーエディションについているDVDに映っているアコギがこのギターです。 ここの右側にある10月23日に書いてあるKさんというのが実は私で、たまたまいつもの店長さんが不在で岸田さんが店番していたのでした。

たとえば岸田さんの店にはジョーサトリアーニのサインが壁に。

Gignature of Satch.JPG

なんでもジョーサトリアーニは岸田さんがアメリカに住んでいたときの友人で、当時無名のジョーが近所でギターを教えていた頃からの付き合いで、来日したときにはいつも店に寄っていってくれるとのことです。ジョーがメジャーデビューしたときには岸田さん、びっくりしたらしいです。

Joe Satoriani.JPG

この前来た時には、この写真のようにデジテックの「クロスロード」ペダルを試してみて「うわぁ〜。クロスロードの音だぁ。」と感動してご購入して行ったそうです。

また、ジョーサトリアーニがギター教室をやっていたときに教えた子供がグリーンディというバンドのギタリストさんで、そのつながりで彼らが店に来たときのサインが壁にあり、写真も飾ってありました。

2002年に始まった四方山話を初めから読むと、サザンロックが好きな人たちには多分信じられないような話が満載です。

ちなみに僕はこの手の音楽は苦手と思っていたのですが、 岸田さんのCDを聴くようになってからこの手の音も「いいなぁ」と思うようになってしまいました。
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2006年04月22日

ELPのコピバン公開リハとセッション大会

話は前後します。

Kunio Kishidaライブの前日(帰宅したら2AMだったので正確には当日ですが。。)は、29日に京都BBAでライブが予定されているはじめちゃんのバンド The Sons of Eveの公開リハの日でした。
Cozy Powellセッションが4月16日にあるはずだったので、本当は前日の4月15日は練習の日(最後の悪あがきの日)だったのですが、延期が決定したので表題に行ってきました。

「人妻ヘルス」という怪しげな店があるビルの4階、Dream Cubeというところで開かれていたのでした。はじめちゃんに「見に行く」とメールを出したら
「キルザキングを弾くチャンスを与える」というメールが来ました。
一瞬「ありがたや〜」と思ったのですが、JUN GREENさんから「Cozyセッション延期」の連絡が届いてから気合が入らなくなって、しばらくギターに触っていなかったので丁重にお断りしてしまいました。

本当はヤフオクで2年前くらいに落札したリッチーブラックモアモデル

ヘッド.JPG

スキャロップド.JPG

RB.JPG


このギターを弾きたかったのですが、練習していないので一緒に演奏する人や聞いている人に「失礼に当たる」と困るので弾くのをやめたのでした。

はじめちゃんのバンド、良かったです。
僕も10年後くらいにギターうまくなっていたらプログレもやってみたいです!

hajime & Voager.JPG

はじめちゃん、1曲目が終わったらあわててマジックでネックにポジションマークを記入していました。フレットレスのベースにフレットを入れたらこんな風になってしまったのでした。

Dot.JPG

確かにフレットと同じところにドットがあるのは変ですね。(笑)

で、断ったつもりだったのでギターもっていっていなかったのですが、
結局Pochiさんのストラトを借りてバーンとキルザキングを弾いてしまいました。

Matt & Hajime.JPG


Voyagerさんが弾く本物のハモンドオルガン、ジョンロードの音そのもので一緒に弾いていて気持ちよかったです。

Hamond.JPG

Voyagerさん、写真では上に載っているムーグシンセサイザーを外して
無茶苦茶にハモンドオルガンを揺らしまくっていました。カッコイイ!
倒しはしなかったですけど。(笑)

しかし、ギター弾くんだったらもっと練習しておけばよかったです。orz
当日会場にいらっしゃった皆様、お耳汚しスミマセンでした。m(_ _)m

もっと練習せねば!

BBAでは、ブライアンの音(に似た感じの音)で弾くつもりでした。
さっき、昼にビール飲んで酔っ払って弾いた音をアップロードしておきます。
キルザキング酔っ払いバージョンです(指がふらふらと怪しい)。
聞いて気分が悪くなる可能性があるので、ヘタレギターが苦手な方はダウンロードしない様お願いします。
ダウンロードはここ(2MB)です。
(このダウンロードサイトは1週間で消滅します。)

ちなみに、これを弾いたときの機材はギルドのレスペ(M+Rのフェイズイン)→ フライヤーTB(レベル9/10) → メイヘム(レベル7、トーン5、ドライブ4) → AC30BM(30W、TBなし、ボリューム0.7/10)です。
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2006年04月18日

Cozy Powellセッション延期、そしてKunio Kishidaライブに行った

楽しみにしていたコージーセッションが延期になってしまいました。
ここ数週間は高校生だった頃のように“気分はリッチーブラックモア”だったのですが。。。

で、4月16日は京都に行くはずだったのですが、予定を変更して横浜の二俣川に行ってきました。
芸術的ともいえるスライド奏法を見るため、そしてそのビンテージギターから奏でられる音を聞きたかったからです。目的は Kunio Kishidaライブです。

kunio kishida live@Furamatagawa.JPG

今回岸田さんが使用したギターは、1956年のギブソンES350Tというギターで、僕が生まれるよりも何年も前に製作されたギターである。

1955 ES350T.JPG

僕はスライド奏法は全然ダメなので、岸田さんの素晴らしいスライドワークに見とれてしまいました。

Kunio Kishida.JPG

どんなにすごいかというのは、岸田さんの 「四方山話」の4月7日から始まる記事を読むとストーンズのギターテクの方が絶賛していることからも分かります。東京ドームのローリングストーンズ公演のときは、観客が入る前のサウンドチェックのときに岸田さんのギターサウンドが鳴り響いていたらしいです。

「四方山話」の4月7日から始まる物語「ジェット・コースター四方山“劇的な18日間」、ストーンズのファンの方はぜひ読んでみてください。ストーンズ日本公演の裏で、ひそかに行われていた興味深い話が書いてあります。
posted by マット at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

先週、4月4日はミッシェルの誕生日

バルセロナの話はこれで最後です。

Royさんはバルセロナでは本当に人気者でした。
いっしょに会話しながら歩いていたら、しょっちゅう僕と彼の会話は中断してしまいました。
「一緒に写真に写ってくれ」という人が後から後から後から、、、、。
冗談抜きで、もしもマクドナルドのLサイズのコーヒー紙コップでも僕が横で差し出したらきっとその後の僕たちの飲み代の20倍くらいの現金は集まったのではないだろうか?

Royさんから、「今からどうするんですか?」と聞かれた。
「もう帰って寝るだけ」と答えたのですが、なんだか寝るのがもったいないほどいい気分だったので彼を昼間に行ったハードロックカフェに誘ってみた。
「行きたいですけどねぇ、どうやって行くんですか?」と聞いてきた。
「地下鉄は12時過ぎると全部バルセロナでは止まっているし、タクシーしかないよ。」と応えた。
Royさんが「その前にちょっと出待ちしに行きません?」というようなことを遠まわしに言うので、一緒に会場のサンジョルディーの裏側まで歩いた。

出口の道の横に数人先客がいた。

その中の一人が「ブライアンはもう帰っちゃったわよ」と話しかけてきた。
Royさんが嬉しそうな顔をして、親しげに彼女に「ハーイ!」と話しかける。
誰かと思ったが、Royさんが僕に紹介してくれた女の子の名前はミッシェル。
前日のマドリッド、そしてパリ公演でも一緒だったらしい。
明るくて元気あふれるキュートな女の子だ。
彼女から見たら多分Royさんも僕も「おっさん」に見えるであろう、18歳の女性。
ミッシェルと、彼女と一緒にいたイギリス人のカップルに
「僕たちはこれからハードロックカフェに行くんだけど、一緒に行かない?」と誘ったが、ミッシェルは「行かない」と答えた。一緒にいたイギリス人カップルの女性から「場所は?」と聞かれたので、「カタルーニャ公園の近くですよ」というと「いっしょに行く」とのこと。結局5人でハードロックカフェ行くことになった。

分乗したので先に着いた僕とRoyさん二人でまず生ビールを日本語で「乾杯!」。
後から来た3人と、もう一度生ビールで「Cheers for your health!」。


海外のハードロックカフェは昼間に行ったときに不思議な場所と思った。
というのはバルセロナでは英語は通じないし、英語を耳にすることも殆ど無かった。
しかし、ハードロックカフェの中では英語しか聞こえなかった。
そのことをイギリスから来た二人に「あそこではアメリカ人とイギリス人しかいないの?」と話すと笑っていた。
Royさん、それを聞いて曰く「日本と違って外国のハードロックカフェは現地の人は入りにくいんですよ」と僕に教えてくれた。日本で例えると韓国人の客ばかりしかいない韓国料理の店のようなものらしい。確かに入りにくいかもしれない。
実際、それまでのRoyさんの人気(次から次から写真をお願いされる)からすると、
ハードロックカフェでは店内全員で「デェーロ!」となるのでは?と思っていたのでしたが、皆さん覚めた目で彼を見ていた。あたかもRoyさんの黄色いマジックツアーの服がサラリーマンのスーツのように思えるほど誰も反応しない。
さっきまで近くでQ+PRのコンサートがあったことなど知らない人ばかり。
アメリカでのクイーンの不人気を垣間見たような気がした。わずか2人ほど「フレディー」とRoyさんに声をかけた人がいただけ。(はたして現在公演中のQ+PRの全米ツアーは成功してるんでしょうか?)


michelleinbarcelona.jpg

Royさんが日本公演、全公演で首からかけていたハードロックカフェでのRoyさんとミッッシェルの写真です。
この写真のシャッターを押したのは多分僕です。(この記憶も飲みすぎで定かではありませんが。)


ハードロックカフェでは閉店になるまで飲み明かした。何を話したかあまり覚えていないけど、
すご〜く楽しかったことだけは今でも忘れられない。

ホテルでは翌日寝坊した。

8月のある日、ブライアンの公式HPを見ていたらミッシェルが不慮の事故で亡くなったと書いてあった。そこにあった写真は着ている服の雰囲気が違うせいか「違うイメージの女性」に見えた。僕が見たTシャツの「女の子」という感じのミッシェルには思えなかった。

そもそも「何でブライアンの公式HPに??」という思いもあって思わずRoyさんに「違うよね?」とそこのURLをメールしてしまった。
Royさんはブライアンの公式ページは見ていないらしかったが、戻ってきたメールには「そうです。ミッシェルです。マットさんから教えてもらわなかったら僕は知らなかったままだったかもしれません。」と淡々としたメールが返ってきた。その文面からは逆に彼のショックが伝わってくるようであった。
わずか数時間一緒にミッシェルと過ごしただけの僕でさえかなり悲しいのに、もっと親密だったRoyさんはかなりの衝撃を受けたのではないだろうか?。。。。

本当に残念であるが、、、、、
もしかしたらブライアン、ロジャー他、バンドのメンバーからの言葉を読むとミッシェルは人生の最後の少しの期間、ある意味幸せだったのではないかと思う。
「僕たちの今回のツアーの#1のファン」とブライアンからはいわれるような日々をバンドのメンバーと一緒に過ごしたわけだから。

ミッシェルはブライアンが言っているようにQ+PRの公式DVDにいっぱい映っています。
これを読んだ皆様も今までDVDで彼女に会っていると思います。
ブライアンの文章によると彼女は10代はじめに鬱病になっていたらしいが、
そんなことは信じられないほど、回りの人たちの気持ちをを明るくするような女の子だったように思う。

もしかしたらブライアンは意識して彼女の映像をたくさんいれたのでは?と思うのは僕の考えすぎでしょうか?


ここ の上にあるロジャーとの2ショットをクリックすると彼女のトリビュートのHPに行くことができます。

ミッシェルのお墓.jpg



4月4日に二十歳になっていたはずのミッシェルへ。
Rest in peace…..



posted by マット at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月07日

バルセロナのQ+PRは終了が翌日午前0時過ぎだった

コンサートで気づいたことの続きを少々。

タイユアマザーダウンのソロの時は、スライドバーはストラップから取り出さずにマイクスタンドの突起にかけていたものを手にしていました。

ブライアン、歌うときにマイクまで来るのが遅れることがギャグのネタにされる事があります。この時もカインドオブマジックの時にギター弾くのに熱中して「マ〜ジック」と
歌うのを忘れて慌てて歌おうとするも間に合わず、ブライアンは苦笑いしてました。

あと失敗といえば、ロジャーがかっこよくスティックをくるくると回そうとして失敗して「お〜っとっと」となり、手を伸ばすも結局つかみ損ねて向こう側に落としてしまい、苦笑いするというシーンも見ました。ロジャーのこういう失敗は初めて見た。

コンサート終了は翌日の午前0時半でした。

終了後も集まって来た人達でステージの前はいっぱいでした。
マイクスタンドに付いていた予備の6ペンスに向かって周囲の人達が「フラットをくれ!」と叫んでいました。どうやらスペインではピックのことをフラットというようです。

アリーナに日本の球場で見るような生ビールのタンクを担いだ売り子さんがウロウロしていたので、生ビールで喉を癒した。おいしかったです。
バルセロナでは親日家が多いのか、「日本人か? 良く来たな!」と終了後のアリーナで何人からも話しかけられました。空の紙コップに「まあ飲め」とビールを注いでくれた人も数人いました。僕がビール買った直後に「日本人か?良く来たな!」とニコニコしながら空の紙コップをこちらに差し出した人もいたので、そのときは注いであげましたが。(笑)
「日本人か?これ見てくれよ!」とロジャーが投げたスティック(それもなんと2本!)を見せてくれた人もいました。こんなにボロボロになるのかという程、ささくれ立ってボロボロになっていました。ロジャーのパワフルなドラムの一端を垣間見た気がしました。
僕が「2本も取ったなんてすごいね?」というと、「ロジャーが投げたのが自分の左右少し離れたところに来たので、まず右に飛びついてキャッチ。すかさず左に飛びついた。」と手振り身振りで説明してくれた。すごい反射神経だ。

多分バルセロナでは日本人は僕とRoyさんの2人だけではなかったのではないだろうか? バルセロナの町自体、日本人はほとんど見かけなかったがここサンジョルディーでも見かけなかった。Royさんとはダッシュした時に別れてしまっていたが、黄色いコスフレはいやが応でも目立つ。合流して一緒にツアーグッズを買いに行った。僕は8ユーロで今回のツアー記念の6ペンスを購入した。日本公演では売っていなかったものです。
ブライアンの横顔とQueen+Paul Rodgersと書いてあります。もったいないので、これではギターは弾いていません。

6bd3.jpg



今思えば背中にヨーロッパツアー全公演の日付が書いてあったTシャツを買えばよかった。
昔の中学生が着ていたような2本線入りの紺色のジャージにカタカナで「クイーン」と日本語で書いてあるのは日本では恥ずかしくてまず着ることはたぶんできなかったと思う。外国人にはカタカナはcoolなのでしょうか?わからん。

今思えば上記のは買ってもぜんぜんOKなのですが、貧乏旅行だったので妙に財布のヒモが固かったです。(笑)

しつこく続いたバルセロナ旅行レポ、次回で最終回の予定です。
posted by マット at 23:52| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

開門後のダッシュはまるでレースの様だった

昨日書いた記事をさきほど自分で読んでみました。

そうしたら、何か書き忘れていたのを思い出しました。
そうです。開門後に感じたことを書き忘れました。

まず日本との違い。
ここではカメラチェックはありませんでした。
言葉も通じないところでカメラを没収されることを恐れて宿にカメラを
置いてきたのは失敗でした。
この日はランブラス通り、カテゴラル、ピカソ博物館、
ついでにハードロックカフェのバルセロナ店も行ったのですが、
カメラが無いために当日の写真はゼロ。
まあ、インターネットの普及した今の世の中、自分で写真撮らなくても
検索すれば見たい写真には困らずまったく問題ない。
(負け惜しみです^^;)

クイーン+ポールロジャースのヨーロッパ公演が始まった後、
ネット上では、いろいろなところでステージの写真を目にしたことと思いますが、それは「写真を撮っても文句を言われない」からでした。
今のデジカメは液晶モニターが見えるので、暗い場所では写真撮影が丸見え。
しかし全く問題ありません。ここは日本ではないからです。
コンサート中も周囲では撮影しまくり。
2〜3m前のブライアンを撮影している周囲の人、ステージ前でこちらを向いている係員もニコニコしながら自分が写らないように横に身体を避ける始末でした。

リペイントしたレスペの裏側、もっと塗装を厚く塗って剥げた跡を隠すのも有りなのに、なぜか薄く塗ったために(ブライアンの意向?)剥げた跡がはっきりと見える距離だったのに写真は1枚も撮れなかった。orz

ちなみに新宿でWWRYを見たときには開演前なのに、携帯を出して目の前に掲げた瞬間に係員が飛んできて「やめてください」と注意されました。
また休憩中にバンドのブースの前でエフェクターペダルを覗き込んでみていたら係員から「やめてください」。念のために書きますが、これは写真を撮っていたのではなく見てただけですよ。

まぁ、こんなことはどうでもいい。話が逸れてしまった。

開門後の駆けっこの話でした。

前にウエンブリーのDVDで見たような光景と書きましたが、
こういうのを体験した人は日本では少ないのでは?と思い、この文章を書くことにしました。

開門前に並んでいたグリッド(笑)は、全体でみれば前ではあったが前にいっぱい人が並んでしました。
ゲートオープンとともに前の人から動き始める。そして自分もゲートを通過後はアクセル全開。この後まるでレースの様だと思いながら走ったので以下レース風に。(草レースしか出たことありませんが。(爆))

初めてのサーキットなのでコースが分からず前を走るマシンの前にわざと出ずに着いていく。
ストレート(廊下)では全開にして1台でも多く抜く。
コーナー(階段)は失敗しないように慎重に曲がる。
コーナーを立ち上がる直前まで、そのあとコースがどちら側に曲がっているのか分からないので前のマシンにピッタリと付く。
(ワタクシ、草レースしか出たことは無かったので練習せずにぶっつけ本番のときはこうしていました。)
あ、これってBBAのリハなしのセッションに似ているかも(笑)

前にはいっぱいマシンがいて「これは上位は狙えないなぁ」という絶望的な気分になった直後、最終コーナーを抜けると予想もしない光景が、、、、。

そうなんです。
レースと決定的に異なることは、アリーナに出た瞬間、一列で走っていた競争相手が左右好きな方向に向かって分かれてしまい自分の前には一人もいない状態でした。

で、僕はAC30の前に設置してあったブライアン用のマイクの前を目指したわけでした。同じ考えの人たちに競り負けて3列目(とはいってもオールスタンデイングの3列目なので日本で言えば実質最前列よりも近かったです。)

しょうもない話、失礼しました。


posted by マット at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

クイーン+ポールロジャースから1周年

バルセロナで師匠を見たのが4月2日〜3日にかけてであった。
2日間に渡るのはコンサート終了までに日付が変わったためである。
あれから1年というと長かったような気もするし、あっという間という気もする。

スタジオでAC30を鳴らしてみたいと思ったのは、間違いなくこのときがきっかけであった。
でも鳴らしてみたいと思っただけで積極的にAC30があるスタジオを探したわけではなかった。
これも偶然なのだが、たまたま歩いていたときに赤信号になって右側を見たら
青信号側の横断歩道の向こう側にスタジオがあったので「ちょっと見に行こうかな?」と思ったのがきっかけでした。
行こうと思う方向が青信号だったら、多分スタジオでAC30フルテンを経験することも無かったと思う。また、その後いろいろな人と出会い、その縁で、そして名古屋公演後にカラオケの「オンチッチ」に行かなければRAGに行くことも無く、そしておそらく人前でクイーンを弾く事もなかったのでないのではないか?
実際、そこのスタジオのパンフは2003年にボトムラインでQコンベンションの際に配られて目にした記憶はあるのだが「バンドやってないし自分には無縁」と中を見ることなく捨てていました。大げさではなく、歩いていたときに信号が「青」だったらBBAという存在すら今だに知らなかったことであろうと思います。

セレンディピティー万歳。

バルセロナにブライアンとロジャーを見に行ったきっかけも、ebayでギルドのレスペ'93モデルを競り負けしたことでした。

昨年2月にギルドのレスペ93モデルがebayに出ていたので、入札するも、落札できなかったことがきっかけでした。
ebayはヤフオクと違って落札できなかった場合、他の似た商品がメールに紹介されてきますが、そのとき4月2日のQ+PRのチケットが紹介されたのでした。「全然似た商品じゃないじゃないか」と思わず心の中でツッコミを入れたのですが、ふと、これは行くのも面白いかもと思い直しました。その時点では日本公演のウワサも皆無だったし、調べたらオークションに入札していた1800ドルくらいで、ちょうど旅費・滞在費等すべてが賄えそうだったからです。
もうこれは行くしかない。で、入札してチケットをゲット。

ticket.jpg

落札価格は5千円くらいだったと思います。日本のコンサートは高すぎる。
外タレに足元を見られているのではないか?
料金を1万円以上に高騰させたのはストーンズか?
自分が高校生の頃は一番高いS席が3800円で安いA席が2500円だった。今の価格からは考えられない安さ。
LPレコードが2500円だったことを考えると、今で言えばCD1枚の価格でA席であればクイーンを、レインボーを、ジャーニーを、スコーピオンズを見ることができたわけである。

ちなみにギルドのBM01'93モデルは日本国内では36万円くらいが相場ですが、
私が見ていた限りebayオークションでは1600〜2700ドルくらいの幅が終値で、
日本よりもお買い得の様でした。

当日は会場に着くと、早くから並ばずに前に書いたような観光にうつつを抜かしていたため既に長蛇の列。
自分が買ったチケットはオールスタンディングのアリーナ。あきらめて、並ぶ前に
列の前の方を偵察にいったら、こんなことがあったため結果的にいいポジションで
コンサートを見ることができました。ROYさん、感謝しています。(^^)

開門予定の20時半になっても全くゲートオープンせず、このころにようやくリハの
始まった音がかすかに聞こえてきた。結局開門は21時半過ぎ。
後でブライアンの公式HPのSOAPBOXに、前日のマドリッドの会場から機材を運び出すのに
手間取り出発が明け方になってしまい、バンドのメンバーは会場に来ていたが機材が
届かなかったと書いてあった。
開演予定は21時半だったと記憶しているが、その時間になってもアリーナ以外はガラガラ。
「大丈夫かいな?」と思ったが、実際に開演した22時半には満員大入りであった。
スペインではサッカー場でも試合直前までガラガラで、試合が始まるときに満席となると聞いていたが、
コンサートも同じか?しかし不思議である。開演時間が遅れる事をどうやって知ったのだろう。

開門と同時にダッシュした。ちょうど'86ウエンブリーのDVDの映像のような光景だ。
ここでもラッキーな事に開場が遅れたためかステージのカーテンが開いたままだったので、
ステージ右側のAC30の前めがけて走ることが出来た。その後カーテンは閉じたが、なんと前から3人目のポジションをゲットできた。
日本のステージと異なり舞台と最前列までの空間が無いため、これ以上いい場所は考えられないという申し分無いポジション。AC30からわずかに10mくらいしか離れていないというビックリするような場所であった。
コンサートが始まるとブライアンが僕の3mくらい前で演奏していて、まるで夢のような
ひとときでした。
前を向いている分には「ボトムライン」とか小さなライブハウスにいるような感覚でしたが、
後ろを振り向くと「うわっ」というような観客(2万人くらい?)で驚きました。

ハンマートゥフォール・スローバージョンのイントロでガリ音が出てしまい、ブライアンが何度か弾くも「なかなかひき始められないや」と言って演奏をやめるトラブルがありました。
私はシールドかなにかの接触不良かと思いましたが、スタッフが飛んできて9台あるAC30のうち、中段真中のAC30を速攻で予備のAC30に交換していました。 その間約30秒という早技。どうやって9つのうちの1台のどれが壊れたのか分かったのだろう?不思議だ。
しかし次の曲のリードギターの時にも少し音が途切れてしまい、ブライアンは弾きながらスタッフの方を見て小さく首を振ってました。

カインドオブマジックのイントロは、日本公演ではゲットダウンメイクラブの途中で出てくるような音響効果を使用していましたが、ツアーが始まったばかりのここバルセロナでは、ブライアンは6ペンスをネック上の弦に叩きつけてピコピコと音を出していました。

アイウォントイットオールの速い部分では、2列目にいたり最前列になったこともありました。
観客が熱狂して動きまくって押されて前に行かざるを得ないシチュエーションでした。
飛びあがった奴には足をふまれるし、長髪の人がヘッドバンキングして顔に髪がかかるし、
熱狂した奴がペットボトルの水を振りまいて頭からびしょぬれにもなりました。
さすがにラテン民族は熱い。

ふと気がつくと長文、、、続きはまた。
posted by マット at 21:16| Comment(14) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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